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2024.08.06

朝1人比治山へ黙祷へ。
ムーアの広場で黙祷予定が腰の都合で間に合わず(また壊した😇)
手前で黙祷。
比治山で黙祷捧げたの初めてだったのだけど、ほとんど誰もいなかった。
サイレンと共に周りのお寺さんも一斉に鐘をついているのが聴こえたのが印象的。

昼過ぎからリハが始まるので平和公園へ移動。
とにかく暑い。
リハの間、対岸で1人ギターとアンプで灼熱の中、ヒロシマ!ナガサキ!と熱唱している男性や、ドラミングと共に反戦を訴える団体の抗議のデモを聴きながら。
リハを終えて一雨来るという話になり、演奏位置を変えたり機材を移動、シートを被せたりと大騒動しつつ。

榊さんの代理で野村さんが流灯式に献奏団代表として参加することになりそれを見届ける。
演奏よりやたら緊迫した面持ちの野村さん。。。😇

今年も灯籠流しの献奏は粛々と行われて、メメントモリがテーマのもと皆様それぞれの想いを音に紡ぎ出し、
三宅さんの指揮による、出演者全員での沈黙のセッションも無事に3部終え20:30演奏終了。

当たり前、なんてことは一つもなくて。
だからこそ、
私たち生きるものには、いつも責任や義務や覚悟や努力が求められるけれど、
本当はそんなことの前にもっと自然発生的に必要なことがあると思っている。

それをわたしは、ここでは書かないけれど。
何を言っても言わなくても。
変わらないこと。
変わっていくこと。

79年。
たった79年。
人間は学ばないことを、
どんどん学んでいく。

考えなくても、どんどん用意されていく勝手な制度や規制やサービスの中で、
それでも、人が、
というより、
わたしが、自分が、
何を考えて生きて死ぬのか。
という自問の日にもなりました。

両親が聴きにきてくれて、
もしかしたら、今年が2人揃って聴いてもらって過ごせれる最後かもなぁ。
と思ったり。

音大時代の同級生にたくさん会ってびっくりしたり。

86に想いを寄せて、遠く近く、平和公園に来た方、来れなかった方、たくさんの方から連絡をもらい、そんな中で
一緒に音を出したい方々と共に過ごす86。
こういう形で音楽で広島という土地に関わることの出来ている事にただただ感謝したり。

暑い中尽力下さった関係者の方々をはじめ、ご一緒下さった奏者の皆様、足をとめて聴いて下さった方々、本当にありがとうございました。

最後の写真は昨朝、
昨日居ても立っても居られず広島まで聴きに行きました、という方から届いた写真。

音楽に言葉を超越する力があることを知りました。

と書き添えてあった。

2024.08.06.
Hiroshima.