カテゴライズする。 ヴァイオリン、二胡
あっという間に、5月になりました。
長かったゴールデンウィークも、既に終わりに近づいています。
昨年の今頃は、血眼になって、笑
アンサンブルコンサートの為に、走り回っていたなあ
と、懐かしく去年のことを思い出してました。
毎年、毎年、同じときを過ごしている自分は、いないんだなあ。
と、昨年のことを思い出すたびに、1年1年、そう感じます。
今年の私は、ゆっくりです。
ゆっくりせざるを得ない状況、というのもありますが、
ここまで、自分の日々を省みて、自分の為に時間を使うように、
考えて生活したことは、この何年間か、なかったように思いました。
今までは、
演奏すること、レッスンすること、
そういう、音楽と私を繋ぐ活動の為だけに、
自分の時間を使うことを良し、としていたような節があって
それが、ある意味 自分の為に時間を使う、ということでもありました。
でも、今私は、
自分が長いスパンで、どうやって自分の音楽を
自分の人生と連結させていくか。
ということを、とても良く考えます。
それは、何かとの比較の上での話ではなくて、
私が、ただ単純に、
自分の人生を納得して、
自分の音楽を納得して、
進めていけれる、
そのために必要なことを、音楽以外の時間を通して、
考える、というだけのことですが。
写真は、
先日、熊野古道を歩いた際、
目の前に続く、石畳の道と、
両側にそびえ立つ木々と、
水の流れる音、風のそよぐ音、鳥の鳴き声を聴きながら、
ふと、空を見上げた時に撮った写真です。
心が、さわさわと揺れるような、
何かが、満ちていくような、
それでいて、しめつけられるような。
そうして、思いました。
ああ、こんな音が、いつか、出したい。
そういう、一つ一つが、
私にとって、大事なことなんだなあ、と思いつつ。
さて、前に続きを話そうとして
立ち消えていましたが、
弾けるようになる、
ということの一つに、カテゴライズする。
ということがあります。
私たちが、生徒さんが持ってきた曲を弾ける場合の、
多くは、そういった曲をいくつもこなしてきたから。
ということが挙げれますが、
例えば、生徒さんが、
難解な現代音楽を持って来た場合。(まず、ありません.苦笑)
それから、難解な拍子のインド音楽の曲を持ってきた場合。(これも、かなり薄い線です.苦笑)
それを弾きこなす、先生、というのは、格段に減ります。
それは、上記のジャンルが、かなりマニアック、ということ、
つまりは、分類不可能。ということになるわけです。
私たちが、初めて見た譜面でも、それなりに弾けるのは、
今まで多種多様な曲を何曲も弾いてきている、その上で、
それらを、瞬時に自分の中でホルダー分けをして、
カテゴライズしているからです。
詰まりは、それに近い、色んな曲を弾いてきている上で、
その新たな曲を弾いた場合、
あ、あの曲に近い、
という感じで、弾き進めていく、
というのが、分かりやすく説明するに、近い感覚です。
誰しも、一度もやったことのないことは、絶対に出来ません。
カテゴライズすることで、
今まで新しい、とか、難しい、
と思っていた感覚が薄れ、
今まで養ってきた感覚で、容易く弾けれることも、
必ずありますし、
シンプルに見えてくることもあるはずです。
また、
そういった、各々のカテゴライズされた感覚を、
例えば、お互いが共有することで、
共通の意識や感覚が生まれ、
アンサンブルとして、スムーズになることもしばしばあります.
それが、どんどん繋がって
自分の好きなジャンル、作曲家、音質、などを深め、
広がって行くのではないかな。
と思っています。