ヴァイオリン、二胡 の話
先日、五日市の生徒さんお二人と、ランチをご一緒しました。
私のお皿のサラダだけ、やたらてんこ盛りなのは、置いといて、、、、、笑
お二人は、私が五日市でのレッスンを始める、きっかけになった方々で、
かれこれ7、8年のおつき合いかと思います。
五日市のレッスンは
最初は、佐伯区民センターのみで始めましたが、
今は、レッスンにピアノがあった方が、より良いため、
音楽室のある、五日市公民館内のユーストピア佐伯という場所も利用しています。
ヴァイオリン、や二胡は、
フレットレス楽器のため、音程をとるのが、難しい楽器です。
そういう中で、音程に関して言えば
例えば、私が同じ楽器で一緒に弾くよりも、
ピアノなどの鍵盤楽器で、音程を一緒に沿って弾いた方が、
分かり易い、ということもあります。
ですから、ヴァイオリンは5線譜なので特に問題ないと思いますが、
二胡に関しては、D調の1の音は、ピアノでは、レの音になる、
というようなことを、理解しておくと、非常に便利です。
二胡という楽器は、
つい最近まで譜面は無かったといわれています。
つい最近、というのが、どのくらいまで遡るのか、よくかりませんが、苦笑
結局、メジャーな伝承の仕方は、口承でした。
日本古来の音楽や舞い、海外での民族音楽に関しては、ヴァイオリンでさえも
どれも、その傾向が見られます。
それは、私の考えでは、
単に音として表記する以前の、
大切な想いや自然の営みがあったのだと、思っています。
譜面があると、人は安心します。
そうして、演奏中にも譜面を見ますね.(当たり前ですが、、、、)
でも、それによって、失われているものについて、
を、考えてみるのも、大切なことかもしれません。
先日、ライブに初めて来られた方から、メールを頂きました。
何でも、私たちが、譜面を見ずに、演奏したことにいたく感動したとのこと。
そんな素晴らしいことでもなんでもないのですが、
ご丁寧にブログのアドレスを見て、
連絡を下さったようで嬉しく感じました。
暗譜の必要性については、
このブログでも何度となく触れていますが、
私が自バンドのライブで極力譜面を見ないのは、
暗譜の必要性を感じているから、笑
ではなく、
単純に、見たくないから、です.
それは、先ほど書いた、
譜面を見ることで失われるもの、
に、私が、ライブのときは、重きを置いているからかもしれません。
私たちが、楽器を触れれる時間には
限りがあります.
日々の練習、本番の時間に関してもそうですが、
いつか、何十年か後には、
私も、自分の楽器の行く末を考えないといけないようになると思っています。笑
流石に、墓場まで一緒に持っていくのは、
何百年も生きれる楽器には、かわいそうですし、苦笑
私の前にも、同じように手放した人が、居るのでしょうから。
最近そんなことを考えています。
ですから、今年は、
自分の音楽的な欲求に、悔いの無い1年でありたいと思っています。
年を重ねるごとに、
諦めることが増える、という人も居ますが、
私が、音楽で諦めたら、
後は何も残らないので、笑
そんな人生にならぬよう、邁進したいと思っています。
神は完成を求められたのではない
挑戦を人にお求めになられた
私の尊敬する方が、好きな言葉です。
さて、練習に戻ります。
皆さんも、素敵な一日を.