伝える。 ヴィオリン、二胡。
7月も終わりますが毎日、暑い日々が続きますね.
7月って、こんなに暑かったっけ、、、、?
と、首を傾げる暑さです。
日本はすでに、亜熱帯気候へと突入してる感がありますよね。。。。
そのうち、北海道が一番過ごしやすくて、
本土はインドネシア的な環境に、、、、なんてなるのは、いやだなあ、、、、
と、思いつつ、アイスをやけ食いしている竹内ふみのです。苦笑
先日、来月転勤で県外へ転居してしまう私の大好きな知人と、
会食がありました。
その知人は、私の演奏を良く聴きにきてくれており、
いつも、演奏後、駄目だしをくれます。笑
大変思慮深く、冷静沈着で賢い人なので(誉め過ぎ?笑)
いつも「知り合い」という、個人的なフィルターを通す事なく、
冷静且つ音楽的に私の演奏を聴いてくれるため、
私は、その知人の駄目だしを、信頼しています。
何より、私の事をちゃんと、一ミュージシャンとして
聴いてくれている事が、分かるので
そういう点でも、信頼しています.
演奏者としての期間が長くなって、年を重ねると
意外にも、「駄目だし」をもらう事は、かなり減る傾向にあると思います。
それは、もちろん、私たち奏者側のスキルもアップしますし、
演奏することに、ある程度の慣れや、自信が芽生える事もあると思いますが、
怖いのは、『言っても無駄』『言うのが、憚られる状況を醸し出している』
と相手に感じさせる奏者に成り下がる事です。
まあ、プロでやっているのであれば、
自分の演奏が、どういう状況かは、自らしっかり把握しておくべきものですが、
他者からの駄目出しには、やはり、自分には持ち得ない、感覚や発想が含まれており、
大変参考になる、有り難い資料の一つです。
しかしながら、ここで大事なのは、
相手が、私にどういう風にそれを、伝えるか、
そうして、私がそれを、どう受け止めるか.
です。
自ずと相手との関係性も大事になります.
知人と私の場合は、そういった先に話したような対等で
潔い信頼関係があるからこそ、
お互いが、無駄にオブラートに必要な事を包まず
誠意をもって伝えたり、受け取ったり出来るわけです。
レッスンでも言い方、伝え方、という事に関しては
いつも大きな課題であり、考え悩むところですが
私は良く、レッスンで口ごもったり、少し考え込んだりしてスラスラ言葉が出て来ないような時がありますが、苦笑
思った事を、色々自分の中で変換して分かりやすく伝えなければ、
言い方、伝え方によって、生徒さんたちの、反応、その後の進展は大きく変化します。
いくら、論理的に正しくても、
あまりにも、自分の感覚とかけ離れたり、共感、理解の出来ないたとえや、
難しすぎる内容だと、
私の言葉は、教則本に載っているような、
それだけでは意味の分かりづらい、言葉の羅列と同じになってしまいます。
教則本に書いてある、楽器の弾き方や説明、というのは
いつも、大変正しいですが、
内容に対して、書いてあるほど事の満足感は得られません。
それは、ただ単に、書いてある事が、
自分の感覚から生まれたり、体で理解したものではなく
人の知識を聞いているに過ぎない、ということなわけですが、
でも、私たち指導サイドはレッスンで、例えば本と同じ内容を伝える時に、
自分の言葉で、分かりやすく噛み砕き、生徒さんのレベルに応じた対応が可能です。
そういう、レッスンでの一人一人に応じた細かい対応こそが、
個人レッスンの大事な部分であり、
必要性だと思っています。
そうして、そのために
私たち指導側は、
いつも、生徒さんたちのレッスンに対する
細やかな部分を理解、分析し、
また、生徒さんたちが上達したり、レッスンを重ねるうちに、
新たに 見えてくる発見事から、
今まであった生徒さんへのレッスン内容を、
新たなものへとステップアップさせ、シフト出来る柔軟な感覚も
持ち合わせておかなければいけないなあ、と省みる会食でした。
心を向けて、ものを伝える。
大事な事は、いつも、大切な人たちや生徒さんたちが教えてくれます.