引き出しを増やす 二胡、ヴァイオリン
昨日から続く雨がやみました。
春の雨は、優しくて心地よいです。
雨が、その後の晴れをつくっているような気持ちになって.
さて、先日のレッスンで
生徒さんが、
「先生が、前言ったことと違うことを言っている」
と言いました。
その曲のフレーズには、
前回レッスンした、同じ曲の違う箇所のフレーズと同じ、
フォルテの表記があり、
前の時には、私は、
しっかりアクセント的な意識をするつもりで、音量、圧力を強め,
瞬発的に弾き抜くよう、
とレッスンしましたが、
今回のフレーズでは、
同じフォルテに、
柔らかく、頭の音をつかぬよう、その音を伸ばす、
という言い方をしました。
ですから、私は、ああなるほどな。
と思った訳です。
全く違うことを言っていますね。
でも、
それは、全く違うことでなんです。
違うフレーズに、
フォルテだから、というだけで、
同じ表現を、もしするのであれば、
世界の数ある曲は、殆ど、何パターンかしかない、味気ないものになってしまいます.
フォルテ、ピアノ、クレシェンド、ディミヌエンド、アクセント、スタカート、ピチカート、リタルダンド、などなど、
まだまだある、数ある表現の中には、
また、その中で様々なヴァリエーションの枝分かれがあり、
それを、曲で見分け使い分ける、ということが、
曲を弾くことだと私は思っています。
人が人と会話して、面白く、楽しく感じるのは、
自分の伝えたこと、人の伝えたいこと、
それらが、ちゃんと、
キャッチボールの様に、お互いに細かい単位で、
理解できて、疎通が出来るからですね.
音楽でも、同じことです。
どういう質問に対しても、
「そうですね。」
という応えだけでなく、
「そうかなあ?」とか、
「いや、私は〜だと思います、」
とか、
たまには、
「違う!」
という応えだって、だから、面白い。
いろんな、アプローチがあります。
私たちはそれを、引き出し、
という言い方をしますが、
引き出しが、多ければ多いほど、
豊かな色彩と、抑揚に富んだフレーズを使いこなすことが出来ます。
人の演奏に感動する部分、というのも、
人それぞれ多様だと思いますが、
少なくとも私は、単純にただ、正確で美しい演奏をしている、というだけで、
感動はまずしません。
まあ、もちろん、不正確で、美しくない演奏も、困りますが、苦笑
人の心は、そういった、美しく正しいものだけで出来ている訳ではないんですね。
苦しかったり、辛かったり、いやになったり、悲しかったり、ひどいことを思ったり、暴力的な気持ちや、汚かったり。
そういう部分もまた、人が共感し、そうして、
そこからまた、繋げて、
負から正を感じることの出来る、
それが、人間の素晴らしい部分だと、私は思うんですね。
、、、、話が、相変わらず逸れた感満載ですが、苦笑
私は、そんなことを考えながら、日々、音楽をしています。
皆さんも、そんなことを考えながら、
楽譜を見たり、曲を聴くと、
また、いつもと違った景色が、見えるかもしれません。