自分を知るという事
レッスンをしていて、
生徒さんが、良く仰る事の一つに、
「私なんて全然出来ませんから.」
というような、言葉ですが、
日本人は、元来謙遜する事を、美徳とするような帰来があって、
そういう一種なら、まだ良いんですが、
実際聞いていると、皆さん本当にそう思っている人が少なくありません。
これは、あまり良い事ではないと私は感じます。
レッスンでも、良く言及しますが、
自分が今、
どういう事が出来て、どういう事が出来ないのか、
それらが、どういう風に出来てどういう風に出来ないのか、
という事が、分からなければ、
上達の速度というのは、必ず減速します。
出来ない事、出来る事がはっきりしているからこそ、
自分が、やらないといけないこと、強化しなければいけない部分、というのが、みえるわけです。
それを、闇雲に、
全てが全く出来ていない。
と思う場合、
全てが1から、という事になります.
そうなりますと、もしかしたら、出来ているかも知れない部分も、全て含め、
雑多な中から、また、何となく繰り返す練習を作業として繰り返す、
という事になりかねません。
それは、決して効率の良い練習方法とはいえませんね。
それは、つまるところ、
『私はとても良く弾ける.』
と、勘違いする事と、あまり変わらないくらい、
残念なことだと、私は感じる訳です。
自分が、何が出来て何が出来ないのかを、冷静に見極める事。
は、特に日本人にとって、
不得手な事かもしれません。
が、
まだまだ、足りない、
と感じる事と、
全然出来ない、
と、感じる事は、全く違う事です。
それは、厳しく見れば
出来ない気になって、
考え得る全てを放棄してしまっている、
とも考えれます。
自分の出来ている部分は、
出来ている部分として、認める事もまた、
上達の鍵です。
私たち指導する側、というのは、
分からないが故に、そこに陥ってしまう生徒さんたちに、
必要な部分、強化したら良いと思われる部分、などを、
その生徒さんの向きたい方向と、照らし合わせつつ
指南することだと、
思っています。