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自由に弾くということ

少しずつ、暖かくなって参りました。
私は、元々寒がりなので、
今日も、レッスン室は、ガンガンに暖房.
で、お昼になって、部屋の
異様な温もり方に気付き、慌てて暖房を消す.
といった具合でした.苦笑
さて、先日、レッスンで
自由に演奏をする、
と私が言った言葉について、
生徒さんと、話すことが在りました.
「自由に」
という言葉は、いかにも、
気楽な感じで、勝手気まま、好き勝手なことをしていいような感があって、
やり易い言葉のような、気がしますが、
実際、
例えば、演奏の細かいことではなく、
単純に、
「自由に何か弾いて下さい。」
と言われた場合にも、
何かを、自由に弾く人というのは、
少ないように感じます。
日本人は、特にその傾向が強いかもしれませんね.
自由に、
という言葉は
魅力的な言葉では在りますが、
一つ、捉え方を間違えると、
あっという間に、不自由に成り下がる感じがします。
生徒さんと話したことは、
規則や、法則あっての、自由.
ということです。
何でも、そうだと思いますが、
何か、枠が在るからこそ、
それを、意識した上で、
『自由』
というものが、存在する訳であって、
何も無い無秩序なところには、
もともと、自由というものさえ、
存在しない、
と言う、もはや、哲学のような話ですが、笑
例えば、
ルバートであったり、
『自由地』、カデンツァなど、
ある程度、弾き手の意思に委ねられる
部分が在るとして、
その部分を自由に弾くのに必要なことというのは、
恐らく、勝手気ままな個人の意思ではなく、
その曲に対する、理解と洞察、そこから生まれる、
考えや曲に対する想い、
であるように思います。
そういう、枠 があって、初めて、
自由に弾く、
というアプローチが出来るのではないか、
というのが、私の考えです。
そういった、自分の感情のみに、流されない
いろんな基の部分に根付いた上での、
こう弾きたい、
という意思は、
弾き手にも、聞き手にも、
良い意味の安定感が生まれます。
ですから、
結局のところ、
自由に弾く、
というのは、
かっちり弾く、
のと、同じくらい、難しいことな訳です。
話は全く変わりますが、
昨晩、自ユニットのライブがあり、
そこに、
音響のプロデュースの長老のような方が、
ライブを 聴きに来て下さっておられました。
その後、打ち上げの席で、ご一緒して頂き、
色々、大変ためになるお話をたくさん、聞かさせて頂きましたが、
その中で、
マンネリする。
ということについての話になった際、
言われていたことが、大変印象的でした。
バンド、ユニットや、曲、構成、解釈、
そういったものが、
常に、
進化している場合、
マンネリ化、
つまり、飽きるという感情は、
まず、起こらない。
答えの無い、満点の無い世界が、
音楽であり、
それが、
たまには、辛くもあるわけですが、
答えが無いからこそ、
曲や音楽もまた、
奏者と共に,進化し続けることが出来る、
ということも、また、
音楽だからこそなのだ
と、
改めて感じた、
一夜でした。
というわけで、
とりとめも無く,、、、
春になりゆく、夜にて.
おやすみなさいませ。