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音楽話 ヴァイオリン,二胡

昨日、生徒さんと
レッスンで、譜面についての話をしている際に、
私が、音大時代にあった印象深く覚えている出来事を
その生徒さんにお話ししたのですが、
何と、今日、
その昔の出来事に関連する用紙が、
たまたま、すごい偶然にでて来たので、
これは、何かの流れ。
と思い,ブログに載せます。
音大の、声楽の授業の際、
その日、教室に入ると、教授が黒板に、ぎっしり言葉を、書いていました。
そうして、それを、一言一句違わず写すよう、言われ、
写した、用紙が、今日、
仕事に必要な大事な書類を探している最中にでてきました。(その書類自体は未だ出て来てませんが、、、、泣)
その文を、ここに載せたいと思います。
『演奏は絵の複製に当たり、楽譜こそ本物の様に思われるかも知れない.
しかし、楽譜は作曲家の考えた”音の構築物”の、設計図、青写真のようなものだ.
それは、音楽そのものではない.
楽譜は最も基本的な第一資料ではあるが、それと音との間には楽譜に出て来ない
いろんなものがはさまっている。
それゆえ、演奏家は楽譜が目に前にあるから、そこに書いてある通りに弾けば良いという事は、
ことの半分も言い現わしてないことがわかる。
むしろ、演奏家,特に「クラシック」の演奏家は、
古い不完全な地図を頼りに現代という 価値の基準が多様化している時代に
音楽的感動という はなはだつかみにくい宝探しをやっている人種とみえる。
演奏は、作曲にほとんど劣らぬ創造的想像力の働きを
不可欠とする仕事なのである。』
『演奏についての、基本的な考えを言葉でいえば、
「演奏は、演奏家の思想の反映である」
演奏とは、楽譜に書かれたものを そのまま音にする事ではない.
楽曲に対する音楽家の考え、ひいては音楽とは何かについての自分の思想を
表現する行為に他ならない.
それゆえ、演奏家の考え<哲学>が明確に打ち出されていないようなものは、
演奏とはいえないのである。』
吉田秀和 音楽展望
いわずと知れた、音楽評論家の、吉田秀和さんの、音楽展望からの抜粋でしたが、
今では当たり前に感じるような、この文も、
若い私には、本当に、衝撃であり、感動であり、戒めでありました。
音楽をする、立場やスタンス,状況はそれぞれ違えど
どんな人にも、当てはまったり、
音楽を捉えるきっかけに、どこかしらなるのでは
と思います。