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8月6日

8月6日という日を、
広島で生まれ育ったわたしはとても強く意識して生きてきたけれど、
色んな年月を経て今は特別な日というよりも、
もっと直接的に周りの大切な人たちが笑顔で元気に過ごせますように、
自分の人生を全う出来る日常であるように、
それとやっぱり繰り返したく無い過ちというものの意味を、
そういうことを改めて考え、祈る気持ちを音として出す日。
と思っていて。

なんか、言葉で書くと胡散臭いわけよね。

きっと本当は、
どあほ!
と言いたいことも、
バカなの?
と首を傾げたいことも、
何でそんなことしたわけ?
とネチネチ責めたくなることも、
なんなら激昂したり投げやりになったり途方に暮れたり泣き叫んだり無視や無関心になってしまえば楽チンなことも、
それも全部飲み込んで、
手を合わせる。
誰かの大切なものを簡単に踏みねじれるような人間と同じ土俵には立てない。
立ちたく無い。

じぶんの心一つで、
わたしは隣人を大切にすることができるし、
わたしが大切なものを慈しむ心を音にすることができる。

8:15に、
手を合わせこうべを垂れて黙祷を捧げる人たちで、埋め尽くされて黙祷のサイレンが鳴り響いているのに、
なのに、しんと静まり返る広島を
わたしは大切におもってる。な。

そういうことを、
生きてるって。
いうんでしょ。

2024.08.06
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